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「熱燗や討ち入りおりた者同士」討ち入り成功のウラ側

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忠臣蔵の季節がやってきた。
無題
元禄15年12月14日(旧暦だから新暦ではプラス1ヶ月くらいか)、赤穂浪士46人が吉良邸に討ち入った。江戸の世が平和を満喫し武士道がすたれた時代、この史実は庶民に受け現代でもこの季節になると、色んなバージョンで放映され、分かっちゃいるけど見て感動する一人として熱燗を好む左党として、上の句を味わう。俳人:川崎展宏氏の句である。

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史実を全体として俯瞰すれば、浅野内匠頭はどうみても、我慢のきかない困った殿様であるし、討ち入り自体もジジイ一人を寄ってたかって殺害するという、褒められた行為でもないし、言ってみれば市中堂々のテロリズムにほかならない。

さらに史実を追うと、お殿様のご乱心で路頭に迷うようになった家臣たちは武士としての面目を立てようとする理想派と、浅野家の家臣であることを隠して就職口を探さんとする現実派に分かれたという。理想派は同盟を結び、翌年春には125名が武士の名誉に燃えていたが次第に抜け落ち、この年の11月には55名になり、さらに脱落者が出て47名(四十七士、内1名は大石内蔵助の命により、後日の証人として逃がされたのは有名。「最後の忠臣蔵」)となる。

「熱燗や討ち入りおりた者同士」は、討ち入りに加われなかった現実派やその後の脱落者の無念さを詠んだ句である。討ち入りから何年か経ったのち、出会った二人が「あの時は仕方がなかった」「拙者も同様」と熱燗を酌み交わす風景である。
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討ち入りは、こういった脱落者をこれほど出しながら計画が外部に漏れなかった、つまりは脱落者の信義によって成功した、市中テロなのである。

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